葛嶺進龍山証厳坊
葛城山系の修行

古より北の大和国(奈良市近辺)から紀州友ヶ島までの範囲に「葛木」という霊山あり。
現在の金剛・和泉山系なり。この山系を”葛城”または”葛嶺”と云ふ。山岳信仰から生まれた名称の色合い強し。国元の時代より鴨都味波八重事代主命、葛城坐一言主命、高天彦神、高鴨阿治須岐託彦根命、葛城坐火雷神、行基、役小角、空海(丹生大明神儀軌)ほか多くの神大徳を輩出した霊山である。
修験旺盛なる江戸時代には大徳、阿遮羅院佛海を讃えた葛嶺雑記には。「昔、舒明天皇の御代、巷に神の災い、もののけ、悪しきものなどなやましく家毎にとりまき、つるうち騒いでいる。大変嘆かわしい様である事、役行者深く哀み、人無き葛 城の峰に入り御心を澄し、説く声絶えず鈴の音は峰々に響いた。
四無行の末、降魔の密法を修すると、三世の仏も八百万の神もその声を聞かず非ず。すると世の悪事は急いで隠れ、世は安らかくなり、皆、富み栄え快よきものとなりし云々…」と記されるなり。
その後も修行者たちは役行者のその威徳を慕って利益ある密法に仕えた。
明治時代に極まりない枯渇化を招いたものの、その霊山の力は無限なり。千年という時を超え今尚篤く信仰する人々少なからず。恒例の葛城修行というのは、人々のため己のための練行である。冥加を重んじその身を慎み、丹誠を出して修行いたすものなり。